これまで私は30年近く、グリーフケアというかたちで人々の『悲嘆』に寄り添ってまいりました。ご臨終を待つ方、そのご家族、自然災害の被災者、事件や事故の被害者、その遺族、そして加害者。私は大学で心理学を専攻しておりましたので、以前はカウンセラーとしてご協力をしていたのですが、次第にカウンセリングの限界も感じるようになっていました。カウンセリングとは、シンプルに言えば問題解決ですが、原因はこれですよ、と言われても心が晴れるわけではない。どうすれば良いか。「おつらかったですね」と言って寄り添うほかないのではないかと私は思います。
けれど、グリーフケアというものに対して、私が求めて携わっていったわけではないんですね。目の前に起こるできごとに自然に対応し続けているうちに、ここに至ったというのが実感です。心に『悲嘆』を抱える人々とお会いし、教わり、導かれるようにしていまの私がここにいるような印象です。
『悲嘆』は何も、特別な境遇の人にだけ訪れるものでもありません。天候ひとつで、人はイヤな気持ちになるものです。リストラ、人からの悪口、借金、ペットロス…日常的な思い通りにならないことの連続の中で、人は生きています。私は「苦しみ」というのは、何かが不足している時に使う言葉だと思っています。一方「悲しみ」は、どうしようもない時。大きくても小さくても、苦しみ、悲しみを抱えている人の側に行って、それを共有する。それがグリーフケアの基本です。いつも私がお尋ねするのは「私が支えになってもいいですか?」ということ。無理強いはしません。「近くにいてほしい」と言われた時にだけ、側にいるようにしています。
今回、当法人の取り組みのひとつに「セカンドキャリア」の支援というのがあります。まず一般論から言えば、たいていの方はいつか現役をリタイアされることになりますね。会社員がお歳を召していけば、当然定年が訪れる。けれども、長い現役の間に、どれだけの方が「その後」のことを考えていらっしゃるかと思うと、かなり少ない気がします。いざ定年という時になって、急に慌ててしまう。「何か定年後の準備をしていましたか?」と聞くと、「時間がなかったのでしていなかった」とお答えになる方が大勢います。ご自分の人生ですから、若いうちから考えておいてほしい。それが私の偽らざるメッセージ。
プロスポーツ選手に関して言うと、実は親戚にJリーガーがいることもあって、もともと関心はあったんです。想像してみると、プロスポーツ選手の苦労には心が打たれるものがありますね。命をかけて競技に打ち込み、強い身体をつくり、精神力を鍛え上げてきた人たちが、ある時にその業績を手放さなければならなくなる。それが引退ということだろうと思います。
そういう、いわゆる『悲嘆』のケアをするのが私たちの役割です。国内企業で働く人たちの8.1%が過去1年の間にメンタルヘルスの不調を訴えているというデータがあります。この現実を、私たちは忘れたくないなと思うんですね。私は、企業もまた、そのサポートをともにしていくことが大切だと切に感じます。教育制度を整えることだけを言っているんではなく、一人ひとりの社員を大事にする心の部分ですよね。会社、家庭、友人関係など、いろいろなところで信頼関係が発生していけば、世の中も明るくなっていくものだと思うんですね。
私は当法人の理事を務める一方で、上智大学の「グリーフケア研究所」特任所長も務めています。まずは大阪のサテライトキャンパスで、2014年からは四谷のキャンパスでも人材養成の講座が開設されています。個人的には、今回の法人設立は「グリーフケア研究所」の延長線上にあるものでもあると思っています。でも、その土台の部分、はじまりには大きな悲しみ、喪失体験があったということを私は強調しておきたいと思います。
2005年に起きたJR福知山線の脱線事故を覚えている方は多いと思います。あの時に私は、被害者遺族の方々だけでなく、加害者側のJR西日本職員の方々のケアもさせていただきました。あの事件で私は、自分の傲慢をペーンと叩かれた気がします。何かと言うと、天災と人災の違いです。天災というのは、それは大変な悲しみに苛まれますが、「どうしようもない」がために落としどころがあるように思うんですね。大自然に対する畏れとか、尊びのような心もあるのでしょう。でも、人災は加害者がきちっと見えている。だからこそ落としどころが見つからない。難しいものなんですね。
私はJR西日本の職員の皆さんともたくさんお話をして、悲嘆について考える公開講座を開きました。それが、人材養成のきっかけになったんですね。「グリーフケア研究所」の発足は、JR西日本の全面的な協力によって生まれたものです。私たちはたびたび、ものごとのマイナス面ばかりを見たがりますが、大きな事故が起こり、多くの喪失体験があり、その教訓としてグリーフケアの活動が広がってきた。たくさんの犠牲や『悲嘆』は、決して無駄にはなっていないのですね。そのことを噛みしめながら、これから先の活動も続けていかなければ、と思っています。