正直言いますと、これまでグリーフケアという言葉はまったく知りませんでした。今回お声がけをいただいて、その内容を伺って、人の「悲しみ」「嘆き」に寄り添うということが分かって、それでも、まさかそれが私が携わってきたJリーグやサッカーとつながるとは思っていなかった。高木先生や水谷先生が、日常的に接している「命」のような重大なもの、シリアスなことに対するケアという印象でした。
でも、お話を聞いているうちに、「悲嘆」というものが実はいたるところにあって、元気に暮らしている人の中にも、もちろんスポーツ選手の中にもあるんだと気づかされました。現役を引退するサッカー選手にも、確かに「悲嘆」はあるわけですよね。それまで幼い頃から打ち込んできた競技と別れるわけですから。
これまでの僕は、トップに選ばれるか選ばれないかを含めて、プロ選手なんだからすべてが自己責任と突き放していた気がします。それぐらい、ある意味では冷酷にならないと、チームを率いることはできない。特に国の代表監督であればなおさらなんですね。でも、その一人ひとりの心に寄り添っていくことをしないと、これからはダメなんじゃないかと思います。
ヨーロッパのチームには、カウンセラーや教員がいて、心のケアも学びのケアもしっかりしています。育成時代から人間的な成長をサポートしているわけです。いま私は、FC今治という地域チームのオーナーを務めていますが、そこでは次世代を担う少年たちも預かっています。サッカー界以外の社会常識や、勉強、セカンドキャリアに向けた教育についても私たちが責任を持って機会をつくっていく必要性を感じます。
震災直後でいちばん思い出されるのは自分の無力感です。おそらく日本中の人がそうだったと思いますが、あの衝撃的な映像をテレビで観て、僕はいても立ってもいられませんでした。それで、すぐさま現地に駆け付けていた野外体験活動の仲間に電話をしたのですが、「岡田さんが来ても役に立たない」と言われた。サッカーの監督はこんな時に何もできないんだ、と情けなくなりました。
ようやく現地に行けたのは、2週間後のこと。少し落ち着いた避難所があるという連絡をもらったんですね。水や食料、そしてサッカーボールを積めるだけ積んで、ワゴン車で向かいました。避難所は小学校に設置されていて、はじめは多少有名だったこともあって、皆さんと一緒に写真を撮ったりサインを書いたりして、でもやはり、皆さんの表情は本当の笑顔ではありませんでした。
ところが、子どもたちをグラウンドに集めてボール遊びをはじめたら、避難所の中にいた皆さんがどんどん外に出てきたんです。サッカーをやったことがある子も、ない子も、中にはおばあさんも、一緒になって笑いながらボールを追い回していると、見ている皆さんの表情も最高の笑顔に変わっていることに気がつきました。先の希望が見えない時に、子どもたちの笑顔が生きる希望になっている。大きなスローガンや政策も大事ですが、一人ひとりが一歩を踏み出すためには希望や勇気が必要です。スポーツにはそういう力があるんだと実感しましたね。それもひとつのグリーフケアのかたちなのかもしれません。これからも現地には通い続けたいと思っています。
少し飛躍してしまいますが、いま日本はいろいろな壁に直面していますよね。資本主義とか、民主主義とかが、ある種の行き詰まりを迎えている。でも、枠組みや制度を変えても、変わらないんじゃないかと僕は思っています。目に見える資本ではなくて、目に見えない資本、つまり思想とか思考とか、信頼とか絆とか、そういうところを変えるきっかけが待たれているんじゃないか、と。
不思議なことですが、各界のリーダーとお話をする機会があると、皆さん同じように「心」を語られるんです。たとえば、仕事にシビアな人物として知られる京セラ名誉顧問の稲森和夫さんは「人間らしさを、真価が上回らなければならない」とおっしゃった。宗教界を代表するダライラマ氏は「私にも感情はある、けれどコントロールしなければならない」とおっしゃった。こうした発言とグリーフケアは、どこかで共通なんじゃないかと感じています。
目の前にいる人の、小さな痛みにも寄り添うということ。実は僕のいちばん苦手なことでもあるのですが(笑)、ひょっとしたらこれからの世の中にもっとも必要なことかもしれません。僕たちの世代は、戦争が終わって高度経済成長時代に育った、恵まれた世代でもあります。でも次の世代に、多くのツケを残そうともしています。1000兆円の赤字、年金の破綻、隣国との緊張、環境の破壊…。大それたことはできませんが、ひとりの大人として少しでもツケを減らして死んでいくのが私たちの使命。グリーフケアは、そういう意味で、ひとつの手段になると思っています。まずは、なかなかゆっくりと食事もできていない妻に対して、グリーフケアしようと思います(笑)。